第2回によせて ハイリゲンシュタットからの再出発

1 4, 2011

今回のコンサートは前回のテーマ「出発」に続き、ベートーヴェンがハイリゲンシュタットの遺書を書いた後の「再出発」と、最後の5つのソナタの「出発」である、28番のソナタに焦点を置きたいと思います。

以前、ウィーンのはずれのハイリゲンシュタットにある、ベートーヴェンが遺書を書いた家を訪れました。シンプルな構造のこじんまりとし た家で、展示があるものの当時の状態が保たれており、「ベートーヴェンの家」とさりげなく看板が立てられているだけでした。このころ耳の具合がどんどん悪 くなっていた彼は孤独感に苛まれていたのでしょう。ここに籠って作曲し、考え、頭を悩ましたベートーヴェンがいたことを想像すると苦しい気持ちになりまし た。

しかし、16番のソナタはユーモラスでチャーミングな明るい曲です。自殺を考えるまで自分を追いつめていたベートーヴェンをここまで立 ち直らせたのは何だったのでしょうか。孤独で暗くみえたハイリゲンシュタットの家。外へ出ると、洗練はされていませんがとても綺麗な緑、自然が迎えてくれ たので、私は散歩することにしました。その家から何歩か歩いたところには小川が流れ、青々とした葉っぱをたくさんつけた木々の上では鳥が楽しそうにさえ ずっていました。その小川の隣の細い小道をベートーヴェンも散歩したのでしょう。小川や鳥の音は聞こえなくても、それらを見て、空気を吸うことによって、 自然の奏でる音楽を想像することはできたのではないでしょうか。前回にも書いたように、幾度崩れ落ちそうになってもベートーヴェンは肯定的な姿勢を保ちま す。このハイリゲンシュタットの自然が、生きるということの素晴らしさを教えてくれ、ベートーヴェンは新たな希望をもつことができたのではないか、と私は その時思いました。

第15番を書き上げたベートーヴェンは「今までの作品は満足しきれない。今日からは新しい道を歩みたい」と言っていたそうです。たしかに、Op.31の3 つのソナタのリズム、構成、キャラクターを見てみると、「今までとは違うぞ」と言っているかのように、挑戦的なものがあります。

そして私にとって、とても難しい挑戦となるOp. 101のソナタです。このソナタで最後の「大きな」5つのソナタが始まり、またさらにベートーヴェンの最後の新しい道が始まります。ここからは単に険しい 道ではなく、天に向かっているような精神的な道だと思います。このソナタは、ベートーヴェンのソナタの中で、もしかして最も内面的なソナタではないでしょ うか。今までとはまったく違ったスタイルで、抒情的に始まり、第1楽章から4楽章まで大きな纏まりがあります。第1楽章の出だしのメロディが第4楽章の前 にそのまま出てくるということは今までの作品ではないことです。決断力に溢れる最終楽章は前回弾いた2番のソナタや7番の交響曲を思わせるようなイ長調の 華やかさがあります。

ベートーヴェンのソナタはどれも大作ですが、常に新たなる道を切り開こうとするロマンチックで革命的な面は、彼のすごく大事な一面だと思います。私も皆様と一緒に人生の新しいページをめくり、このような挑戦をさせていただけることをとても楽しみにしています。
今回の企画は私の個人的な目標を達成するだけではなく、ベートーヴェンと親しめなかった人たち、またベートーヴェンの名曲しか知らなかった人たち にもっと彼の音楽をわかっていただきたいという目的があります。特に若い人たちを対象にしたプロジェクトにしたいと思っています。渋いと思われてしまう ベートーヴェンの曲を、まだ20代の私がどれだけ彼の音楽に惚れこみ、どんな魅力にあふれているかを8公演にわたって伝えたいと思うのです。

ベートーヴェンの32のソナタはほぼ彼の生涯(24歳で書いたop.2から52歳で書いたop.111まで)にわたっています。私は絵 画が好きですが、昔ピカソの一つの絵を見てもよく理解できず何がいいたいのかなと頭が?マークでいっぱいになったことをよく覚えています。しかしパリのピ カソ美術館に行って彼の初期の作品から晩年までを辿っていくと、こういう成長と人生経験を通して、たとえばキュービックな絵になってきたんだなとやっと納 得することができました。カンディンスキーにも同じことが言えます。

ベートーヴェンにも成長と変化の過程があるからこそ面白いのです。彼は他の作曲家と比べても人間味の強い作曲家だと思います。彼の楽譜は思いつきのようにきれいに書かれたモーツァルトの楽譜と違って線やメモなどでぐちゃぐちゃです。

初期のハイドンのために書かれた3つのソナタop.2は若い人にぴったりな純粋さ、単純さとユーモア に溢れていて、私の特に好きな3曲です。しかしそれ以降も幻想曲風ソナタで語られる身分の差のため実らなかった恋、 耳がすこしづつ聴こえなくなり苦悩の毎日のはて、ハイリゲンシュタットで自殺を決意し、そして立ち直った後のop.31のソナタ、文学に詳しかった彼の 『テンペスト』におけるシェイクスピアの哲学的解釈、ロマン派への変わり目を感じさせる『熱情ソナタ』、ピアノという楽器の限界まで達する『ハンマークラ アヴィア』のオーケストラのような構成と響き、最後のソナタの天国へ舞っているような神秘と熟練まで、ひとつひとつに多彩なストーリーが待ち受けていま す。ですからこの中からどれかを選曲することは難しいです。たとえば小説の分野でも『青春の門』の堕落篇だけ読んで筑豊篇と自立篇を読まないでいられるで しょうか。

戦乱のウィーンを体験した彼は、ピアノ・コンチェルト『皇帝』の中で、戦後新しい世の中への希望を訴えています。『苦悩を突き抜け、歓 喜に至れ』と言っていた彼の、常に絶望を経験していたにも関わらず、肯定的で勇敢な姿勢に私は尊敬の意を感じます。私の世代は皆戦争を経験しておらず当時 に比べて幸せな社会で暮らしているかもしれません。しかし、却ってコンピュータなどに支配されている今の世界は表面的になりつつあります。見えるもののみ に興味が向いてきているこの世界、音楽のような見えないものを感じることこそ大切だと、私は思います。

最近音楽を含める文化に対して世の中の理解が減っている中、ラジオやテレビでもクラシックをポピュラーにしようと名曲ソナタの有名な楽 章しか放送しなくなってきていますが、ベートーヴェンの本来の作品全体に触れないことはとても残念なことだと思います。それはベートーヴェンが意図したこ とではありませんし、ひとつひとつの曲は全楽章、又は全曲集を聴くことによって、人間の心のより深いところを理解することができるのではないでしょうか。

最近このようなことを私はよく考え、今すぐ人々に訴えないと、と思うのです。ベートーヴェンは、『音楽はあらゆる知恵や哲学よりも高度 な啓示である』と言っていますが、私はベートーヴェンの音楽の伝達者として、この世代の一人の音楽家として、彼の哲学的な疑問をお客様と一緒に考え、彼の 『ピアノ・ソナタ』という生涯に渡って書き続けた傑作を心から楽しみたいと思っております。