チェロとピアノのためのソナタ Op.102-1

3 29, 2020

Op. 5の二つのソナタからほぼ20年の歳月が過ぎ、Op.102の二つのソナタを書いた1815年のベートーヴェンは45歳で、この時期に残した作品は数少なく、しかし貴重です。

ピアノソナタを録音したときに、一番好きな時期をインタビューでよくきかれ、Op.90、101(27番、28番)とよく答えていました。新しいアイディアを求め、晩年に一歩足を踏み入れているようなこの時期のベートーヴェンの作品にはこの上ない優しさと、慰めのような暖かい愛情を感じます。しかし、すでに難聴が進んでいて、世間から逃れ引きこもるようになっていた時期で、その上弟のカールの死、甥の養育権の争いなど、葛藤だらけの時期でした。

そんな中、長い間ベートーヴェンの音楽をサポートしていた友人でピアニストのエルデーディ伯爵夫人の邸宅(のどかなウィーンのはずれのイェドレゼー)に、ラズモフスキーカルテットの優れたチェリスト、ヨーゼフ・リンケが急なカルテットの解散の後、舞い込んできました。そしてベートーヴェンも才能を認めていたリンケとエルデーディ夫人のために二つのチェロソナタを書くことになったのです。

この時代のソナタはその前に書かれたピアノソナタOp. 101と同様、かなり圧縮されていて短いながら濃厚です。1と2楽章、3と4楽章とつながっており、ソナタやロンド形式を部分的に用いながらも、そのしがらみから解放されて、自由に構成されていて、最初はFreie Sonate(自由なソナタ)というタイトルがついていたほどでした。冒頭のテーマが全楽章のテーマに関連していて、ソナタ全部で一つにまとまっているのは、この時期から多く見られます。

1楽章、天から舞い降りてきたかのような冒頭のテーマは、ピアノと絡み合うように進行し、カデンツァのあと夢のようなトランス状態で締めくくられます。

そして突然現れる第2楽章のイ短調のテーマは対照的に攻撃的で激しい性格を持っています。しかしここでも急に天使の声のようなコラールが出て来たり、ピアノソナタOp. 101でも見られるようなベートーヴェン特有の「オアシス」が現れるのです。そしてコーダの、嘆きのように、滲み出る苦しみのような和音に感動せずにはいられません。

3楽章は1楽章を振り返るような穏やかさがあり、しかしすぐチェロの葛藤の道のりのようなパッセージに引き渡されます。このあいだ、団十郎さんがこの時期のベートーヴェンは「死」について考えていた、と高校生に説明していましたが、このあとの1楽章の冒頭のテーマに振り返るまでの対話は、まるで死のもたらす平和と、人生の美しさを振り返っているようで、私も巨匠二人、ルドルフ・ゼルキン(ピアノ)とパブロ・カザルス(チェロ)の録音を聴いたとき涙が止まりませんでした。

そして間も無く始まる4楽章は、もともとスケッチを見るとフーガにする予定だったようですが、対位法は使っているもの、崩して自由な形式になっています。一楽章冒頭のテーマ、ド、シ、ラ、ソをソ、ラ、シ、ド、にしたシンプルなテーマなのに、そこからは即興のように次々とアイディアが生まれています。葛藤の中、人生の美しさを探すベートーヴェンらしい肯定的な姿勢が見え、希望の光に向かっていっているような終盤で、この深く、素晴らしい作品をしめくくります。