チェロソナタ第1番 作品5-1

3 21, 2020

ウィーンで勉強中の26歳のベートーヴェンは北の方での公演活動のため当時プロイセン王国の首都だったベルリンに2か月滞在していました。プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム2世は、音楽、芸術のサポートをしていたうえ、自らチェロを弾くほど音楽好きでした。

音楽史の中で作曲者が急にある楽器に夢中になって研究しだすことはしばしばありますが、それはだいたいある演奏家との出会いによっておこるようです。

その宮廷オーケストラの音楽監督だったジャン・ピエール・デュポールと主席チェリストだった弟とのジャン・ルイとの出会いは大きな影響を与えたようです。特に弟のジャン・ルイは、辛口のベートーヴェンも絶賛するほど音色豊かな素晴らしいチェリストだったそうで、チェロの魅力に目覚めたのではないでしょうか。
このころベートーヴェンはウィーンでハイドン先生のもとで学び、作品1のピアノトリオ3曲(2016年のベートーヴェン詣で取り上げた作品)、作品2の3つのピアノソナタをすでに見事に書き上げていました。
同じころに作曲されたのが作品5のチェロソナタ二曲です。

このチェロ好きの皇帝に献呈、彼の目の前でジャン・ルイ・デュポールとベートーヴェン自身によって初演されました。

それまでのチェロ作品は技巧的なチェロパートにピアノ伴奏、またはピアノ中心の作品のベースラインとしてチェロがサポートするという逆のパタ―ン、ほとんどこの2種類でした。そこでベートーヴェンは挑戦的にこの素晴らしいチェリストが頭にありながら、そして自分でピアノを演奏することも想定して両方の楽器が対等に対話を繰り広げる作品を書いたのでしょう。

この曲はこの時代のベートーヴェンにしては珍しく2楽章で構成されています。モーツァルトの影響(ヴァイオリンソナタなど)もあったのでしょう。

まず第1楽章は、序奏は静かな、ためらいながら質問するような応答ではじまり、そして提示部が始まると生き生きとして快活なテーマが始まり、ピアノとチェロが交互に、ピアノで華やかなパッセージがあったらチェロがうなり、歌い返していく、終結部に入ったかと思うとまるでそこからどんどんアイディアがシャボン玉のように出てきます。そして展開部は王様がさぞかし驚いただろう転調で続き、時間がとまるようなピアニシモの部分があり、再現部に入ります。そして二人が急にオーケストラに変身したようにカデンツァの前の終止が!そこからまるでチェロとピアノのためのダブルコンチェルトのように3部に分かれた大規模なカデンツァが書き抜かれています。そしてトリルでオケに受け渡すように最初のテーマが戻ってきて終わり・・作品2-3(第3番)のピアノソナタもピアノコンチェルトのようなところがありましたが、このような勇気のある新しい試みはこの時代ベートーヴェンならではの凄さです。

そして第2楽章のロンドは、チェロとピアノがカノンで出てくる第1テーマで軽やかに始まりますが、単純なロンド形式を遥かに超えてテーマも何回も着替えさせられるように毎回異なります。アイディアがもう浮かんでしょうがないようなベートーヴェン・・・なのか普通の形式を破っていく反抗期のベートーヴェンなのかもしれません(笑)。途中で民族的な庶民のダンスのようなテーマが現れたり、皇帝のために書いて、貴族のエレガントなところがありながらも、庶民的なテーマも同じソナタの中で存在しているところも一目置く価値があると思います。

ということで、これだけでもベートーヴェンを詣でるために欠かせない作品を演奏します!

 

小菅優(公演前のFacebook投稿より)